那覇 居酒屋「糸満屋」 ボンクラ座礁酒場プラスワン

那覇空港に着陸した飛行機の窓から見える景色は何処に来たのか分からないくらいにドシャブリであった。
こりゃあ今日は自転車乗れないかなと、やや呆然としつつ到着ロビーへ向かい、なんとなしに売店の書籍コーナーを覗くと中身がスカスカの沖縄癒し系の本と共に『復帰前の米軍犯罪記録 事件帳第2弾発刊』なんつー本が並んでいて、観光客を迎える場所で売る本じゃねえだろって、そのバッドテイストっぷりに笑いつつ、ようやく沖縄に来た感慨がじわじわと滲み上がって来る。いやー沖縄はやっぱこうじゃないとね。

というわけで、今回は沖縄・那覇編となるわけだけど酒場紹介の前の枕として、チョロチョロと行った訪問地(つっても全部市内なんだけど)を適当に流して行こうと思う。いわゆる一般的な沖縄観光という辺りで面白いような場所は一切出てこないので何か有用な情報を得たいとか不埒なことを考えている方は下の方にある点線まで進むカタチでどうぞ飛ばして下さい。なお、滞在中に雨が続いていた関係で何度か訪れてる場所もあったりするので、そのまんまの訪問順といったわけではなく、話的にスライドし易い感じに出していってます。あしからず。

さて、まず最初の場所は那覇新都心なんて大仰しい名前の付いたモノレール(ゆいレール)・おもろまち駅周辺。米軍の住宅地区が返還された場所を再開発した地域なんだけど、その再開発っぷりを見に行くっていうワケじゃなく、かつてそこで行われたシュガーローフの戦いの跡はどうなっているのか見に行きたかったのである。以前近くの都ホテルに泊まっていたことがあったんだけど、そん時は自転車で遠距離ばっかりだったし、まだ造成中だったんだよね。
で、そのシュガーローフの戦いについての詳細はウィキペディアかなんかで読んでもらいたいんだけど、要するに「鉄の暴風」といわれるような沖縄戦の中で最も激しい戦闘が行われた場所なわけだ。その戦場の様子がどのようなものだったかは、隣のハーフムーンでの戦いに参加していたユージン・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』(スピルバーグ総指揮のテレビドラマ「ザ・パシフィック」の原作)での記述が生々しく、ほぼ同じような状況だったと思われるので引用しよう。

私は一瞬一瞬をしのいで生き延びていた。死んだ方がましだったと思うことさえあった。われわれは底知れぬ深淵に―戦争という究極の恐怖の真っ只中に、いた。ペリリューのウムルブロゴル・ポケット周辺の戦闘では、人の命がいたずらに失われるのを見て、沈鬱な気分におそわれた。そして首里を前にしたここハーフムーンでは、泥と豪雨のなかウジ虫と腐りゆく死体に囲まれている。兵士たちがもがき苦しみ、戦い、血を流しているこの戦場は、あまりに下劣であまりに卑しく、地獄の汚物のなかに放り込まれたとしか思えなかった。

こんな感じで戦闘が激し過ぎて死体も収容できない中、そういうものやらナニヤラがドロドロになった戦場で文字通り死闘が繰り広げられたわけなんである。単に当サイト的視点って辺りを抜きにしても是非訪れたいような場所ってのはご理解いただけるかな。下は戦闘当時の地図。真ん中の線路は戦前に走ってた沖縄県鉄道で、現在は同じ場所をモノレールが通っている。
シュガーローフの戦い
今回の宿は県庁近くのホテルなんだけど、自転車でおもろまちへ行くにはモノレールの下を通っていけばいいわけで、非常に分かりやすい。秋雨の合間をぬって雨具を持参しての出撃である。
と、走り始めるが相変わらず沖縄県人の車の運転が荒荒で危ないっつーの。黄色どころか赤でも突っ込んでくるし、横断歩道に歩行者が居ようが気にせずにグイーンと曲がってくる。ウインカーも出しやしねえ。オマケにバイクや原付に乗った結構なジジイ、ババアが老い咲きサンダーロードなのかデスロードなのか知らんが即死レベルのスピードで間をすり抜けて行く。これで交通事故発生件数が意外に少ないってのが分からないんだけど、多分渋滞ばっかしてるからだろう。アブねえなぁと自転車を降りて歩道を歩こうとすると、公共事業に金がたっぷりブチこまれているお陰かタイル張りだったりするので雨で濡れてて靴もタイヤも滑る滑る。どうしろと。
そんな沖縄的事情に苦労しつつも何とかおもろまち駅にたどり着き、ハーフムーンの丘を背にするカタチでシュガーローフ方面への坂を上っていくと、上にはナニヤラのっぺりと見慣れた街の景色が広がっていた。えっ何ここ埼玉の国道沿い?
沖縄新都心
ガストにツタヤに洋服の青山と、さらに奥にはゲオも見える。いやー見事なまでの東京郊外金太郎飴タウン。沖縄の新都心って東京郊外だったんだ。太田昌秀が基地が返還されての成功例としておもろまちを上げていたように記憶しているが、返還が進むとこういう金太郎飴タウンがどしどしと出来るんだろうか。それだったら沖縄来る必要なくて埼玉でいいんだけど。
安里配水地(旧シュガーローフ)
振り返ると、なんかオブジェ風のものと給水タンクが乗っかった小高い丘があるが実はここがシュガーローフの戦いが行われた場所。今は安里配水地っていう名前らしい。これまた見事に殺風景で特徴の無いコンクリ壁っぷりだが、横に階段のようなものがあるので、とりあえず自転車を停めて上がってみる。というかここ沖縄で最も激しい戦闘があった場所だって絶対気づかんよな。
慶良間チージ・プレート
なんも無くて上がり損かと思ったが、一応という感じで申し訳なさげに小さなプレートのようなものが一つ置いてあった。高台なので周りを見渡してみると、米軍が攻め込んできた北側にはなんというか冗談のようにDFSギャラリアとかいう外資系免税ショッピングセンター(特区とかで国内唯一だとか)がドドンとある。空港にもあったやつだな。
DFSギャラリア
戦争を知る年寄りの一部にはこの街をばちあたりタウンという人も居ると聞いたが、確かに過去への敬意の無さっぷりは井出らっきょのパンツ並みにゆるゆるであり、脱げるのを予想できてしまうような不穏さが丘全体に漂っている。実際造成中にはかなりの量の骨が出てきたそうだ。

西側を見るとオープン間近のホテルがあり、さらにその隣には建設途中のマンション予定地が。丘から降りてそのマンション予定地に行ってみたが、周囲に「マンション建設反対!」のノボリが立っている。周辺住人だろうか。もう出来ちゃってる街のありようを見てからだとヒドく違和感があるんだが。
ここら辺りのこういう“高級”マンションを買うのは沖縄には住みたいが本土同様の生活がしたいという団塊リタイヤ組や逆に本土並みの生活がしたいという沖縄富裕層(沖縄の所得は全国最低だが貧富の差が大きく金持ちが以外に多い)だそう。当然、売るときにここは勇敢に戦った日米両軍(沖縄の義勇兵含む)の死体でこねくり回された土地ですとは言わないだろうねぇ。
沖縄県立博物館・美術館
そのままのっぺりタウンを散策してたら、やたらと立派な建物の沖縄県立博物館・美術館があったので入ってみる。地方に行くとこの手の場所には必ず入るようにしているのである。他で手に入らないような発行部数の郷土本があったりするからね。と、中に入ると外観同様えらく立派なというか、正直こんだけ金のかかった地方博物館は見たことが無いなーというレベルでビックリ。あちこちにタッチパネルがあって説明ムービー流してくれたりして。そのわりには観光客を全く見かけず、課外授業と思われる小学生がいなくなると、広い博物館内を学芸員に監視されるように展示品を見ることになる。
どういうわけかその学芸員が年配者ばっかり。というか那覇市内は国際通りを除いて働いてる若者をあんまし見かけない。ホテルの従業員もなんか年齢層高めだし。調べてみると、どうも役人を頂点とする補助金やらの配分体制にドップリと浸っている関係で、その役人と土建以外はオイシクナイという認識が若者含む県民全体にあり、他の産業じゃ熟練してそれなりの給料が貰える様になる前に辞めてしまうパターンが多いそうで、仕事を覚えてくれないと困る企業サイド(大きいホテルや何かはほとんど外資)もだめだこりゃと本土から長く続きそうな人を連れてきたりして(移住してという人間も増えている)、沖縄の失業率は何時まで経っても上位ランクインみたいな悪循環があるようだ。
つーわけで、戦跡を見に来ただけだったんだけど、こののっぺりタウンはどうも沖縄の現在~今後の問題を煮詰めたような場所で、色々と分かって何かガリガリくんでアタリが出た気分になったとさ。アイスと言えば沖縄はダブルソーダ(棒が二本付いてて割るやつ)が普通に売っててうれしい。

次の場所へ行ったのは二日目の朝。ホテルのモーニングバイキングで順番の守れない(というかそういう習慣ないんだろう)中国人だか台湾人だかにイラっとしながら飯を食ってからとっとと出発。今回沖縄に来て前回と違うことに観光地にやたらと中国人・台湾人が多いって言うのがある。自分より高級な自転車乗ってやがったので富裕層なんだろうね。のっぺりタウンにあるヤマダ電機とかで大量に家電を買って帰るらしい。この辺も尖閣問題もあり綱渡り風だよなぁ。
公共事業の賜物である立派過ぎて威圧感のある造りの県庁横を通り過ぎ、向かうのは農連中央市場(通称・農連市場)である。沖縄随一のディープ市場として知る人ぞ知る知らん人は知らん場所なんだけど、どうもここも再開発されるらしく、その前に見ておこうというわけだ。
農連市場・その壱
ハーバービュー通りからせせらぎ通りという尻が痒くなるような通りを抜けて、あっという間に到着。ちょっと坂を下った低地に「農連市場」と書かれた大きなバラック状の建物がある。うーん、こりゃあ確かにディープだ。元は米軍の物資集積地かなんかだったのを昭和28年(1953年)に市場にしたらしいが、現役でここまで闇市そのまんまの場所に来たのは初めてだ。しかも東南アジア的な味付けが非常に濃い。奥に入るとここは日本なのかと錯覚するくらい。
市場に着いたのは午前の9時くらいだったんだけど、当然ながら市場のピークは過ぎてしまっているらしく残念だったが(午前1時からやってるらしい)、多少品物を出している店もある。売り買いは基本タイマン形式の「相対売り」である。それにしても、ここも年寄りばっかりだな。
農連市場・その弐
と、始めの内はその東南アジア的ディープっぷりに喜んでいたものの、ここはあの県庁や那覇新都心と同じ沖縄なんだと考えると、ちょっと冷静になってくる。別にここはどこぞの発展途上国じゃないんである。基本無くても生活できる飲み屋街や風俗街なんかは闇市的でも構わないんだろうが、ここは沖縄の“食”を支える市場なのだ。そういう基本インフラがこういう闇市状態でほっとかれたってのは金をどこにブチこんできたんだよっていう話でもあり、ここに来て古き良き沖縄らしさがあるわーなんてミサワ顔で言っちゃうのは、発展途上国の諸問題に背を向けて彼らは日本人が失った何かがーとか筑紫哲也顔で言っちゃう自称ジャーナリストとあんま変わらん。危ないアブナイ。沖縄はこういう罠が多いよね。
農連市場・ガーブ川
実際市場関係者は再開発を喜んでいるとも聞く。まぁそりゃあそうだよなぁ。市場の真ん中にドブ同然の川(ガーブ川)は流れてるし、猫がウロウロしていてその辺に糞が落ちてたりして食い物を扱う場所としては衛生的にかなり問題があるように思うし。あーしろこーしろっていう話はあるだろうが、のっぺりタウンと違いこっちの再開発は必然な流れなんだろうから外の人間が勝手に変なもんを仮託しちゃ駄目なんだろうね。これ、沖縄全体にも言えることだけど。再開発後は一階は駐車場、二階が市場やら食堂という形式になるらしい。そうなったらまた来てみっか。ナンダこりゃってなるかもしれんけどね。

最後の場所は市場からひめゆり通りに出て北に向かって真っ直ぐ。ゆいレール・安里駅のちょい先東にある栄町市場だ。今回沖縄を訪れるにあたってライターでもある切腹五郎氏に強くプッシュされた場所なのだ。
農連市場を“闇市”そのまんまといったけど、戦前の那覇の地図を見てもらえば分かるように、その頃の那覇の中心は現在ゆいレールが沿うように走る久茂地川の海側の方で、その逆っ側はかなりスカスカで国際通りの繁華街も含めて全部戦後の闇市から出発していると言ってもいいようなもんらしく、当然ながら栄町市場もご同様。戦前にはひめゆり部隊で知られる沖縄県立第一高等女学校や軍人墓地なんかがあったらしいが、その焼け跡で闇市が開かれたのがこの市場の始まりらしい。
てなわけで、安里駅前に来てみるとナンカ見覚えがある。あぁそうだ、前来たときこの辺の「うりずん」とかいう店に入った覚えがある。観光客ばっかなんでツマんなくてすぐ出ちゃったんだが。と、そのまま歩いていったら横丁に「うりずん」まだあった。調べたら結構な人気店なんだね。すまんすまん。今回用は無かったけど。というか俺は昔とやってることあんま変わってないな。
栄町市場・その壱
そこらに自転車を停めて早速栄町市場に潜入。とりあえず北側からと入っていくとすぐに暗がりからサム・ムーアを泡盛に一年ほど漬け込んだような渋みのあるババアが出てきてうわぁ!ってなる。うーん油断はできんな。奥に進んでいくと迷路状になっていて非常に分かりずらい。
栄町市場・その弐
並んだ店舗はアメ横っぽくはあるが、闇市・アジア風味8割増といった感じ。なんかに似てるなぁと思ったらプレステのゲームであったクーロンズゲートっぽいんだな。ジジイやババアがポイントポイントに背景のように居るってのもなんか近いし。香港っぽいのかって話になっちゃうが。
栄町市場・その参
しばらくウロウロしてようやく五郎氏オススメの餃子屋(総菜屋?)を見つけたが、まだ早いのかやってなかった。後でまた来ることにしよう。モノレールでも来れるしな。と、出口を求めて歩いていたら「ひめゆり同窓会館 3F」と書かれた看板が頭の上に見えた。なるほど、かつて学校があった場所であるこの市場で生き残った人達が集まったりしてるのか。
それにしても、この市場もそうだが今回の沖縄訪問で気になったのは、ずっとドブ臭なのか豚の臓物を煮ている臭いなのかワキガなのかっていう臭いがあちらこちらで漂っていたこと。雨降ってたからかな。
栄町社交場
帰る前にちょっと確認したかったのは南側の出口から「旅館」と書かれた看板がいつくか見えたのが気になったのだ。当然「旅館」なんかじゃないようなぁと店の前に確認しにいったら、案の定というか狭い出入り口の前にババアがとうせんぼをするように座っていてそういう店だと確認できた。まだ昼過ぎなんだけどもうやってんのかよ。とかいってたら店の中から客と思われるヨレヨレのジーさんが出てきた。どうも後で調べたら、このあたりはこういう店もスナックなんかも従業員の年齢が異様に高く、年寄りが年寄りの相手をするというような魅惑の今村昌平ゾーンであるらしい。年寄り早く寝ちゃうからここも早めなのかな。なんか志村けんと柄本明の芸者コントのハードモードような状況しか思い浮かばないが、まさかこの辺も含めて五郎氏はプッシュしたわけじゃあないよな。

こんな感じで栄町市場とその周辺はあからさまで妙なもんを背負ってなくて他二つよりサッパリしてて良かった。沖縄再訪時には是非来たいね。

———————キリトリ線———————

つーか今回場所が場所なんで枕が長いな。いいかげん店の紹介に入るとしよう。
今回の店は三原にある居酒屋「糸満屋」。観光客が多いようなところで飲むのはツマランと、那覇の中心から離れた場所をチョイス。で、魚屋がやってるって辺りでツマミもハズレは無いだろうと踏んだ訳だ。
で、夕方になってシトシトと降りだした雨の中を自転車で向かったわけ。さっきの安里駅から栄町通りを東に進んでいくようなルート。栄町を過ぎるとすぐに普通の住宅街に入り、この先に居酒屋なんてあるのかとちょっと不安になる。那覇市内の住宅って基本コンクリなんでダンジョンっぽいんだよね。おまけに暗くて雨も降っている。
居酒屋「糸満屋」
周辺がクネクネした道ばかりってのもあって、若干迷ったが無事店の前に到着。住宅街の中にちょろっと店やなんかがある交差点からほんのちょっと曲がったところに「糸満屋」はあった。確かに隣で魚屋やってる。というか、めちゃめちゃ入りずれー!なんかフィルム貼ってあって中の様子が分からんし。自転車止めるところもないな…。入って店の人に聞くしかないか。因みに時間は雨の降りがだんだんと強くなってきたってのもあり、途中どこも寄らなかったのでまだ6時くらいだ。
自転車を仮置きして、扉をガラリと開ける。客はカウンターにドウ見ても地元な年配者が二人、こっちを見たまま固まる。そして俺も固まる。いや!いかんとカウンター向こうの女性(女将さんだった)に自転車で来ていると告げ置く場所を聞く。特に無いんで入り口横で良いってことで、鍵をかけて止め、改めて店内に入って中を見ると以外といっては失礼なんだけど結構広い。カウンターは入り口にちょっとだが座敷席がそれなりにある。外観からは分かんないな。
居酒屋「糸満屋」・刺身(一人前)
カウンターに腰かけ、とりあえず生と刺身(一人前)をたのみ、手ぬぐいで濡れた頭を拭いていると隣に座るオヤジ(初老)がイキナリ初手からカウンターを喰らわしてきた。
「あんたヤマトの人?(語尾上げ。以下略ス)」
キターーーーーー!!これが聞けただけでも来た甲斐があったなと内心ガッツポーズしながらオヤジの話を聞くと、那覇市内じゃ自転車乗ってるのはヤマトから来た人か中国人しかいないし、それでわざわざこの店に来る人は珍しいんじゃないかと言う。と、女将さん含めナンで来た的な流れになってしまったが、単に変な人なんですとも言えず、ビールを飲み飲みアハハと適当にごまかす。
まぁ自転車に関してはホントにそうで、スーパー(りんぼう)行っても何処行っても止めるような場所が無くて困った。アメリカ軍統治で車社会化したっていうが、それにしたって自転車少なすぎで軽自動車多すぎ。北海道同様の車社会なんだけど広さ違うしなぁ。オヤジ曰く、沖縄はその辺(燃料やらの)税制が優遇されてて本土よりも安く手に入るし、基地に知り合いが居ればもっと安く手に入るからちょっとした距離でも車・タクシーになるという。いろいろ恩恵もあるわけか。渋滞が多いわけだ。
という感じでオヤジに沖縄交通事情を聞いていたら、刺身が来た。デカっ。サーモンが入ってるが残念ではあるが、これで1000円なら十分っていうか、飯食ってもいい感じ。天ぷら(400円)もかなりボリュームがあっていいという話だったが、他食えなくなるので泣く泣く断念。

ここで奥に座っていたジーサンがあっという間に帰っていく。店前で写真撮ってた時に入ってまだビール一杯しか飲んでないような気がするんだがと思っていたら、女将さんが「あの人は一杯以上飲むと家で怒られるのよ」という。沖縄はどうも女性の方が元気だよなぁと思っていたら実際そうなんだな。この辺もちょっと北海道に似ている。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』の世界よろしく僻地(失礼)は女が働かないとどうにもならないという。
その後も普通の鳥唐揚やグルクン唐揚なんかを美味しく片付けていったんだけど、オヤジとしゃべるのと食べるので忙しくて、今回写真少な目である。申し訳ない。女将さんと店員さんのいい写真があるんだけど、お約束もあり不掲載。
居酒屋「糸満屋」・切抜き
7時を過ぎると座敷の方にも客がちょこちょこ入り始める。この店もタクシーで来ちゃう客が多いんだな。店内が賑やかになってくるにつれて隣のオヤジもだんだんとメートルが上がってきたのかセクハラ発言が多くなる。始めは店員さんをからかっていたんだけど、その内俺に山羊汁を食って帰らなきゃ駄目だとやたらと薦めてくる。幸いこの店には無かったが、なんでと思ったら「あれ食べれば三日はアッチが元気よ」だと。そうか、山羊汁ってそういうポジションの食い物だったのか。安里にやたらと山羊汁出す店があったのはそういう訳だったんだな。無闇に元気になっても困るんだが。なんか今後山羊汁をそういう目で見ちゃうね。どういう目だ。
山羊汁をオヤジ、女将さん、店員さんとそれぞれが臭いけど美味しいというが、どの程度か分からないのでジンギスカン(羊)みたいなもん?と聞いたら、全員食べたこと無かった。そりゃそうか。女将さんによれば山羊汁は島によって結構味が違うという話とついでに八重山出身だということを教えてくれた。と横を見たらなるほど新聞の切抜きがある。
居酒屋「糸満屋」・イカスミ汁
山羊汁旋風は収まったものの、今度はオヤジが店のメニューからイカスミ汁を薦めだす。食べたこと無いし、まぁいいかと注文すると、オヤジは納得したのか「幾らか(店から)貰わんとね。うはは。」とか調子良いことを言いながらアッサリと帰っていった。しかし、このオヤジもほとんど食い物の注文はしなかったな。多分これから家帰って普通にご飯食べなきゃいけないんだろう。店員さんに「あのお父さんよく来るの」と聞いたら「たま~にね」だと。常連じゃないのかよ!
というやり取りの中、イカスミ汁がやってきたんだけど、結構デカイどんぶりだな…。もう結構腹に溜まってるのにご飯も付いてっからこれでもう打ち止めじゃん。まんまとあのオヤジにやられたぜ。まぁ最初の台詞でチャラだ。
普通に美味しいんだけど、汁の中にはイカがゴロゴロと入っていてシメにはなかなかヘビーな食い物である。ご飯を入れるとさらにヘビー。なんとか食い終わるが、もう何にも入らないなとオアイソとする。
居酒屋「糸満屋」・外観
女将さんが降る雨を心配する中、自転車を押して(飲酒してるし、雨で滑る)帰る。うー腹が苦しい。

というわけで、今回の居酒屋「糸満屋」。女将さんと店員さんの人柄と、いろいろなハプニング(主にオヤジ)もあり非常に楽しめたんだけど、やっぱり一人よりは複数で来た方が良い店なんだろう。座敷でワーという感じでね。全体的に出てくる料理の量も多いし。地方都市での普通の一人飲みってのはオヤジ達の方が正しくて、食べもんもしっかり食うぜっていうこっちの飲み方の方がイレギュラーなんだろうと思う。この辺は首都圏と違うし、まぁしゃーないね。
今回訪れたのは水曜夜の早い時間(雨も降ってる)だったんで、客の入りもそこそこだったけど、週末の遅めだと入るのが難しいくらい混むようなんで、店に来る前にその辺要チェックです。

居酒屋「糸満屋」
住所:沖縄県那覇市三原2-34-18
電話:098-853-9052
定休日:日曜日
営業時間:17:00~24:00(ラストオーダーは23:00)

那覇ウルルン滞在記をプラスしての酒場紹介だったわけなんだけど、まぁなんというか何時もと全然変わんないな。
沖縄(那覇)は「戦争」「基地」「癒し」「リゾート」みたいな余計なワードに隠れて、よくある地方都市的マヌケさが気付きづらいし言っちゃいけないっていう、歌舞伎役者ってことでアホが許されてる海老蔵みたいなところがある。というかあった。しかし、沖縄訪問前から訪問時にここ数年で出た沖縄本を結構な数やっつけてみたけど、佐野眞一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』が出て以降、その流れもちょっと変わってきているようで結構なことである。余計なワードに自分のややこしいもんを仮託するんじゃなく、マヌケさを愛でられるようになったら真の沖縄好きって言えるんだろう。
俺はどうかって?まぁナンシー関がネタにする芸能人を愛でる程度には好きなんじゃないかな。多分。
次の日には沖縄料理に厭きて、吉野家行ったのは内緒なんだけどね。

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