池上本門寺に“日蓮”を見に行く 街角裏散歩

どうも最近「意識の高い人」がアチラコチラに溢れているような気がする。

曰く、「グローバル化に対応するため、意識を高く持たねばならない」「原発問題を解決するため、意識を高く持たねばならない」「日本を美しい国にすべく、意識を高く持たねばならない」「基地、米軍の駐留に関して、意識を高く持たねばならない」「隣国の反日政策に対向するため、意識を高く持たねばならない」「国家の横暴に対して、意識を高く持たねばならない」「永住在日外国人の苦悩に対して、意識を高く持たねばならない」「創作的活動(アート)に対して、意識を高く持たねばならない」「大麻自由化問題に関して、意識を高く持たねばならない」等々。
並べてみると、あんまりスタンスの違いは関係ないってのが良く分かる。で、何が言いたいのかというと、自分はこの“意識の高い人”方々がどうにも好きになれないっつー話なのだな。が、これまで“どうにも”っていうハッキリとしないものだったんで、これまで深く考えずにスッ飛ばして来たのだ。口の中に食い物を勝手に突っ込んでくるような面倒臭さへの嫌悪と共に、タモリじゃないが「やる気の在るヤツは去れ」みたいな、自分の中にあるものと何か根本的に相反するものがあるっていう辺りから来る忌諱感ってのは分かるんだが、いまいちキチンとした取っ掛かりが無かったんだな。目が合った云々でイチャモン付ける激安系じゃないんだからね。
しかし、去年ちょっと日蓮のことを考える機会があり、ピーンとニュータイプ覚醒音風に来るものがあったのである。“日蓮ってなんだかアイツらとかぶってなくね?”と。日蓮は“意識を高く”法華経を信じれば成仏できると唱えた、日本の意識高い系の元祖とも言えるような人だ。今もそっち系の団体いっぱいあるしね。といった部分で語りにくい部分はあったりするんだろうが、今回のも別にディスってるわけじゃなく、“どうにも”合わないって話なんで、その辺は誤解なきよう。

で、今年の一発目は日蓮を取っ掛かりにして、その“どうにも”って辺りをハッキリさせてみようってのをお題にしようかと思うのだ。恐らくその中で、当サイトの立ち位置ってのも再確認出来るハズだ。多分。年明け一発目として相応しいんじゃないかと。確認する場所は池上本門寺。日蓮入滅の場所だしね。流石にわざわざ身延山までは行けないし。何より都内なんで大変お手頃で宜しいのだ。
東急池上線
ということで、三が日も過ぎて、落ち着いた辺りでまずは乗換駅である蒲田へ。久しぶりに「蒲田行進曲」を聞きながら、JRから東急池上線へと移動。三が日も過ぎているといっても、それなりに初詣客は居るようで、そこそこ混んでいる。
しかし、都内の有名神社なんかと比べるとあからさまにジジイ・ババアに家族連れが中心である。この辺りは、神社がパワースポット的な方向で見立てが更新されているのに対して、寺は葬式的なイメージから抜け出せないってのもあるんだろうか。
池上駅ホーム
池上駅に着くと、駅舎が木造なのに驚く。というかカナリ昔に都内の主要寺社仏閣は大体周っているんで池上本門寺にも来ているハズなんだが、何もかも忘れてる自分にびっくりした。
池上駅
駅を出ても特に目を引くようなものはないのでとっとと本門寺へ。曲がりくねった商店街風の通りを抜けると、チョイと大きな通りに出て、その途中にある「南無妙法蓮華経」と彫られたバカでかい石碑を過ぎると、本門寺総門が見えてくる。
池上本門寺参道
石碑から橋を渡ってからが参道っつーことになるのかな。この参道で思い出すのは幸田文の随筆だ。

母の葬りの日、人力車をつらねた葬列である。乞食が施物を強要するのは常識のような時代だったので、あらかじめ施す銅貨がめいめいに配られ、私にも渡された。それは八歳だった私の小さい掌の幅いっぱいくらいの寸法に、一銭ばかりを筒に巻いてあった。果たして乞食は道の両側でがあがあと云った。私は一片ずつ投げた。そのうち俥にくっついて走るものが出て来、遂に幌の支柱のあいだからぐっと突っ込みつつ走る。
<中略>
俥を降りてから本門寺は高い石段をあがる。その石段にも乞食がずらっと羅漢さまのように並んで、おじきをして葬送を迎えている。そして云うことは「お帰りにどうか。」だから帰りに私は一銭の棒をもたされた。

明治オワリの葬式ってのは今とダイブ違うってのがよく分かる。今は寺にホームレスが寝泊まりしようとしたら通報されるだろうけど、この頃までは彼らのアジール的な場所でもあったんだよね。ちょっとは、そういった部分は多少残っているのかっていうと、まぁ全く無いな。むしろ、「水子供養」なんて幟が立っていたりして、施しどころか寺サイドが懐に手を突っ込んでくるような感じがある。そりゃ若いカップル来ないよな。
池上本門寺総門
池上本門寺は戦争時に焼夷弾攻撃(というかこの辺一帯)をくらったため主要建物は焼失してしまっている。総門はそれを免れたもの。扁額は本阿弥光悦の書を元にしたものらしいんだが、文化財っつーことで現在は非公開になっている。出しとけよ。
此経難持坂
総門をくぐると此経難持坂(シキョウナンジザカ)がどーんとある。幸田文が乞食が並んでいたって書いたのはこの坂だ。熱心な信者だった加藤清正が寄進したものだと言われている。そういえば、熊本にある本妙寺の参道にはハンセン病患者が並んでいたっつー話もあったね。坂は一つの段がナカナカに大きいので年寄りにはキツイ感じだ。
此経難持坂を上から
登り切って振り返ると結構な景色である。
池上本門寺山門
通常のお参り場所であるところの、山門と大堂が見えるんだが、そこへは行かずにチョイと回り道をする。さっきの幸田文の文章にふれたからってわけじゃないが、幸田家の墓を見ておきたいのだ。しかし、露天の紐引き(宝釣り)なんてしばらくぶりに見たな。
アルミニウム日蓮像
と、横手にズレようとすると、イキナリどーんと日蓮像がある。妙な色をしているなと思ったら銅像じゃなくてアルミニウム像なんだそうだ。なんでまた。しかも、ナンカ台座だけ立派過ぎね?と周りを見ていくと、この場所には政治家の星亨の銅像があったんだけど、戦時中に供出されちゃったんで、戦後に日蓮像を乗っけたとある。ナンカゆるゆるでイイ。なお、星亨は功績よりも、利益誘導型の元祖的方向で扱われることが多い政治家である。
乗っかってる日蓮もありがちな力強い姿だ。自分もこういったもんばかり見ているので、どうもひょうきん族の頃の西川のりお(声も)でイメージが固定化されている。ツクツクホーシやるわけじゃないけどね。
池上本門寺五重塔
進んでいくと五重塔(これも戦災を免れたもの)があり、その周辺が墓地になっている。ここの墓地というか池上本門寺には、幸田露伴含む幸田家だけじゃなく著名人の墓が多数あるのだ。ちょっと上げていくと、松本幸四郎(7代目)、溝口健二、市川雷蔵、永田雅一、栗島すみ子、力道山等の芸能系、星亨、大野伴睦、新井将敬等の政治家系、そして児玉誉士夫、岡本柳之助、石井進(稲川組2代目会長)、町井久之等の裏街道系等、何故かトンガッていたり、エグかったりという方々が多いのが特徴である。
何で?っていう疑問は当然あるだろう。実はそこんところが“日蓮”と強く絡んでいるトコロなんで、その日蓮の教えってヤツを(ホントに)大雑把に説明してみよう。簡単に説明するの結構難しいのよ。
日蓮
さて、鎌倉仏教はよく個人の救済を~なんてことはガッコウで習うだろうからご存知かと思うが、日蓮の場合はその教えの根本を法華経に求めた。その法華経ってなんなのって話になるわけだ。
その内容は~実際いた人間のお釈迦様は入滅しちゃってるけど、それは仮の姿であって、真実の仏様ってのはネバーエンディングに過去から未来、そして今もこの世界に居続けてくれているんだぜっていうのがキモになっている。前世でも来世でもなく、現世に仏様が居るっつーことだな。ある意味、現実肯定的な思想なわけだ。
ここで日蓮は考える。現世に仏が居てくれているのに現実がエラくキツイってのはオカシクね?と。それは正しい教え(法華経)が信じてないヤツが多すぎるからだろと結論。バカヤロ共めがと他宗を攻撃、幕府には諫言。当然、迫害っつーことになるわけだが、日蓮は負けずに更に考えてみる。

何で正しいことやってんのに迫害されんのって考えちゃったけど、俺っちが迫害されるのは前世で法華経をバカにしていたからだろうな。となると、受難が大きければ大きいほど、大きな罪を現世で帳消しにできるわけで、成仏への道はビシバシ早くなるってことだ。というわけで、ガンガン法華経広めていくぜ!俺っちを迫害している奴らも、来世では(法華経の行者を迫害したという)大きな罪を背負うことになるので、結局法華経と縁が出来るわけだ。つまり、奴らも救ってることになるんだから、嫌がられてこそだぜ!

と、えらくポジティブな方向に落ち着くのである。打たれれば打たれるほど、俺っちの正しさが証明されると。自己啓発的なものの源流にも日蓮居るんじゃね?って感じだ。これが創価学会等で問題になった折伏理論の基本でもある。

こうして法華経を根本に現世を変えようとしていた日蓮の最終的なビジョンはどういうものかっていうと、仏法が王法を従えるカタチでの政教一致の仏国土、ある種のユートピアを目指していたのである。すべての人が法華経を信じ、一切衆生が成道すると。
一つの思想を掲げて、強引に現実を改変し、ユートピアを現出させる。この全体の流れがエグい人達を惹きつけるわけだ。ちょっと変化球にして(歪めて、と言ってもいい)、天皇制とくっつければ石原莞爾になり、社会主義とくっつければ妹尾義郎になり、ファンタジーとくっつければ宮沢賢治になると。肥大化する自己に目的性を与えて、さらにそれを正当化する思想として、まぁよく出来ているんである。オレが(オレたち)がガンダムだ!っていう自立的な部分もあるしね。芸術家、反対制、そして国家主義者という相反するような人達(というか“情熱”は同じもんなんだけどね)に信奉されたのはここがポイント!っつーことだな。そして、この肥大化した自己の片付けドコロって辺りが、今の“意識高い”系とのかぶりドコロでもあるわけで。

で、ついでなんで話すと、自分は(創価学会の)折伏経験者だったりする。と言っても、セミナー的なもんではなく、中学生の頃通っていた塾講師が信者で、「ちょっと時間あるか?」と言って、8ミリの映像を見ることになってしまったのである。
正直、その講師の行為はカナリ問題があったと思う。が、自分は感謝している。エラく面白かったからだ。ただ、講師の目論見とは全く反するカタチでキッチュなものとしてなんだけどね。当時から自分はそんなヤツだったのである。ということで、今も反発のようなものは残っていない。
青年部?の人達がデカイ競技場のような場所でマスゲームをしている→やり遂げて多幸感出まくりな感じの中、万雷の拍手が起こる→池田大作氏が登場→青年部を称えてオワリ。という、確か3回見たんだけど、全く同じよう内容だった。中学生ながらに、これ見せて信者増えるんだろうか?と思っちゃったりして、大変にいい思い出である(なにが?)。
池上本門寺墓所内
辺りをウロウロとしてみるものの、幸田家の墓は見当たらず。谷中の墓地みたいに地図が無いんで、なんかどこかでパンフ的なものでももらってくれば良かったんだろうか。とか言ってたら、目の前に「力道山の墓所はあちらです」という看板があった。他の墓には一切こんなの無いので、余程来る人多いんだろう。ということで、流れに乗って自分もとりあえず見てみることにする。
力道山墓
そのまま歩いて行き、やや奥まったトコロに力道山の墓がある。国籍やらの話はする必要も無いかと思うが、これなんかは国外でも創価学会の信者がそれなりに多いってのと繋がっている。一切衆生がっていう辺りね。ある種の世界性というか。日蓮の思想を見るときに、この(法華経を信じるものの)平等性ってのは押えておかないとマズイところである。ユートピア的拡張と共に、イロイロと利用されちゃうトコロでもあるんだが。
力道山銅像横
銅像の横を見ると、これは見に来るマニアが来るのも無理もないなというメンツが並んでいる。まぁ、力道山もエグい人なんだけど、パイオニアではあるわけだからねえ。
幸田家の墓
ということで、後は幸田家だ。大野伴睦の墓から肥後細川家(今もエグい人が殿様なわけだが)の墓なんかを周った後にサラッと見つける。なんだ五重塔の近くだったのね。意外だったのは家族全員分の墓がそれぞれあることである。変わってるな。当然、幸田家を苦しめた後妻のは無い。
幸田成豊の墓
ちょっと感動したのは幸田文の向かいに弟・成豊の墓があったってこと。しかも、歌子よりも父に近い場所という。うーん。「おとうと」を読んだり、市川崑の映画で見た人にはたまらんね。なお、トナリの敷地には露伴の兄・郡司成忠(探検家)の墓、妹の幸田延(音楽家)の墓もしっかりある。
しかし、幸田露伴の作風と日蓮ってのはどうも合わないような気もするが、露伴じゃなくて、幸田家が、なんだろうね。さあ、見るもん見たので大堂行くか。
池上本門寺大堂
大堂の前まで行くと、エラく喧しい。何だと思っていると、中の坊さんがお題目を唱えているのをスピーカーで外にも流しているからなのだった。コレ、要らなくね。
池上本門寺大堂内
入り口まで立って中を見ると、真正面に日蓮像が見える。日蓮坐像はアチラコチラの寺にあるが、この坐像は唯一重要文化財になっている像で、まだ日蓮の顔を知っている人間が存命だった頃に作られたものなので、実際の日蓮に近い姿だと言われている。何か、子連れ狼をやっていた頃の萬屋錦之介を坊主にしたようなスルド目であり、申し訳ないが往来で道を聞かれることは無いだろうなといった風貌である。日蓮の強烈さがよく分かる像だな。真ん中だけガラスがハメられているのは保護のためのUVカットだろうか。
それにしても三が日が過ぎたというのに人が多い。

日蓮は法華経を信じれば、その功徳によって現世利益があるとした。日蓮の教えを信じるものが爆発的に増えたのは室町後期から戦国期だが、これはその頃に力を持った商人達がその現世利益に惹かれて信奉するようになったからでもある。コレなんかは現在でも変わらない部分だろうね。戦後の日蓮系の宗教団体多くはここを売りにして伸びたようなトコロがある(プラス折伏ね)。さらに日蓮の教えには上でふれたように実存主義的で自己実現な目標も与えてくれるわけだから、今も力があるってのは分からんでもない。近代的自我にも行けるよっていう。日蓮よろしくポジティブに生きたい(なりたい)って人間には相性がイイと言えるだろうね。芸能系が多いってのはこの辺かな。国内外共に。
納得したトコロで、喧しい大堂を離れて裏手へと向かう。日蓮が祀られているのはココなんだけど、遺灰やらがある建物や入滅の地は裏手の方なのだ。ほとんどの人はここ参拝して帰っちゃうみたいだけどね。
歩いて行くと本殿があるが、参拝客じゃないので、まぁここはパス。なお、ここの仁王像はアントニオ猪木がモデルになっているそうなんだけど、入ったら大音声で「南無妙法蓮華経」を唱えている人が居て、写真撮らずに出てきてしまった。まぁ、日蓮の教えでは題目を唱えるのは正行ってことになってるから仕方がない。
池上本門寺の御廟所への道
本殿の横手に遺灰が奉安されているという御廟所への道がある。というか誰も居ねえ。
池上本門寺御廟所
御廟所は人が居ないってこともあり、妙な清らかさがある。しかし、誰も来ないってことでチト日蓮に同情したくなるような気分になる。なお、この御廟所は大堂、本殿と共に戦災でやられて、戦後に再建されたものである。
ということで、正式の墓で仁義を切ったトコロで、最後の入滅の地へと向かう。本門寺は高台にあるわけだが、日蓮が最後の二十日ほどを過ごした池上氏の館は西の坂を下った場所にあるのである。まぁ、水道の無い当時、高台は水とかイロイロ不便だからね。
池上本門寺多宝塔
と、坂にある階段を降りて行くと、馬鹿でっかい多宝塔が見えてくる。よく、徳川家の霊廟なんかで見るのと同じようなカタチだが大きさが尋常じゃない。なんでもココが日蓮を荼毘にした場所なんだ。何だかこの過剰さってのが、何事かを表しているようで、しばらく眺めてしまう。
池上本門寺多宝塔アップ
時間が経って、渋みが出た木造建築も良いが、こういったキッチュなものも嫌いじゃない。しかし、ここも人おらんね。
本行寺本堂
その横手には本行寺という本門寺の子院がある。ここが日蓮入滅の地である。ちなみに、ヴェネチアのホテルでお題目を唱えるほどの信者だった溝口健二の墓はここにあったりする。しかし、本堂の前が駐車スペースてのはどうなの?
日蓮入滅の間
本堂の左手を行くと、ご臨終の間というお堂がある。晩年、日蓮は下痢に悩まされたというから何か消化器系の病気になったのだろう。で、身延山から湯治のため常陸国に向かう途中、檀越である池上宗仲の館であるこの地で病が重くなり入滅と。
勝手に入って良し、みたいな張り紙があったが、信じてるわけでもないのにアレだなと、外から眺めるだけにする。
日蓮入滅
日蓮の生涯の強烈さというのは語られており、それは日蓮のパーソナリティの強烈さでもあるんだけど、後に出来た伝説ってわけでもなく、日蓮自身が“盛った”部分も多いのだ。
例えば出身は漁民、しかも「海辺の施陀羅(インドの被差別民を意味する言葉を漢語にしたもの)が子」なんてことを言ってるんだけど、実際はそれなりの経済力のあった武士の家の生まれと言われている。当時、寺で子供を勉学させるってのは金が無いと無理だからね。
そして、奇跡が起きたという竜口法難にしても、助かったのは単に北条時宗の妻が懐妊っつーことで恩赦になったからだと言われている。
こうして、自らを装飾して行き、「法華経の行者」から地涌の菩薩(法華経的世界を実現する菩薩のこと)へ、最終的に自身を「聖人」と呼んで絶対的な救世主のような存在にまで高めていった日蓮の強烈さは、こう言っちゃぁなんだがエグいっちゃー、エグい。恐らく、自身を“確信”したまま死んでいったんだろうと思う。

自分が日蓮の生涯を眺めてみて、ある種の虚しさを感じてしまうのは、この辺なんだな。彼は安房という僻地に生まれて、その風土から獲得したある種の生々しさってのに共感はあるんだけど、ポジティブを重ねまくりの自己聖化が過ぎて、あんた自分の弱さ、クズい部分のようなものを見ないで(対峙しないで)、死んじゃったんじゃないのっていうね。そこからの逃避に見えなくもないというか、ホントウの意味でテメエは救えたのか、どうなのかっていう。実際、日蓮の教えってのは「不安」からの逃避といったカタチの処方箋として、活用されてきた(今もね)ような気がするのだ。

結局のところ自分が“意識高い”系を“どうにも”好きになれないってのはこの辺なんだろう。最近は“意識高い”系クズってな言い方もあるようだけど、だったらただのクズの方がマシじゃん、と。「ユートピアは、すなわちディストピアである」だとか「聖人ばかりが住む場所を地獄と呼ぶ」なんて言い回しもあるわけだが、自分は己の中のクズと酒を呑めるヤツの方がエライと思っているのである。立川談志の“業の肯定”じゃないがね。お前ら肥大化した己に巣食った不安を振り撒くな、と。“意識の高さ”ってのは単なるそれの表出なんじゃねえのっていう。
己を何かに委ねずに、また誰かを攻撃せずに、踏みとどまって(これ大事)ボンクラに過ごす。大体、こちとら近代的自我なんてのも信じてないのだ。ある意味、原始仏教だとか超人思想に近しいのか。ということで、日蓮とも縁なき衆生ってことで、まぁしょうがないのだ。衆生を救おうとしたことはキチンと評価しておるんですがね。

当サイトの立ち位置ってのはこの辺にしたいと思っているんですが、かと言って、ハッキリ何だっつーのは分からないので“ジタバタ”しとるわけです。しかし、今回日蓮的なもの、“意識高い”とは違うってのはどうにかハッキリしたようなので、良かった、良かった、と。
というわけで、以上。今年もよろしく。

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