生誕100年 岡本太郎展 太郎からの村上隆

これもまた街をウロウロするのが主な仕事だった頃の話ですが、渋谷で用事を済ませた後に突如として岡本太郎記念館に行ってみようと思い立ったことがありまして~。
突如なんで当然というか下調べなんかしてませんから、迷いに迷いまして結構ギリギリの時間に入館することになっちまったわけです。平日ってこともあって他に誰もおらず、なんとなく記念館の人の早く出てってね感をひしひしと感じながら慌しく見ていたんですが、あっという間に閉館時間が来て記念館の人が「そろそろ~」みたいな感じで声をかけてきたんです。そこにカツカツカツと足音を立てて入ってきた人が
「あら、私まだいるから大丈夫よ」
とエラく滑舌がいいかんじで言ってくれたんですが、それが岡本敏子さんだったんですよ。というわけで、館長が言ってんだかんな!と、こちらも気を使いつつもちょっと余裕を持って見ることができたわけです。
最後にアトリエの方を見たんですが、すでに閉館時間を過ぎて電気が消されていたのかヒドく暗くて、進んで言った先にあった等身大の岡本太郎像にびっくりして、思わず
「おわっ!」
と声を上げちゃったんです。すると後ろから笑い声が聞こえるんで振り返ると岡本敏子さんがいました。「あまり気味のいいもんじゃないわよね」みたいなこと(正確に覚えていない)言いながらこちらに来て、その後そのまま立ち話みたいな感じになったんですが、残念なことに完全に舞い上がっちゃったんで何を話したか全く記憶にないんですよね。ただ、最後に時間を延ばしてくれたことに礼はキチンとした記憶はあります。
帰りの駅へ向かいながら、岡本太郎像を「あまり気味のいいもんじゃないわよね」と言ってのけた岡本敏子さんに本質的な何かを分けてもらったような気がして、非常に満たされた気分だったのを覚えています。

というのが、個人的な岡本太郎体験だったりするんですが(正確には岡本敏子さん体験なんだけど)、そんなことを思い出しながら東京国立近代美術館で開催中の『生誕100年 岡本太郎展』に行ってまいりました。
[googleMap name=”東京国立近代美術館” description=”京都千代田区北の丸公園3-1″ width=”400″ height=”360″]東京都千代田区北の丸公園3-1[/googleMap]
ゴールデンウィーク中だし、もうすぐ終わるし、まぁ間違いなく混むだろうなと開館時間の10時ちょうどに着くような感じで竹橋方面へ自転車で進んでいくと、すでに美術館へ向かう人で歩道がいっぱいになってまして、チケット買うのに10分ほど並んだ後に入場となりました。会場内は流石に混んだ感じでしたが、休日の美術展によくいる騒いでる子供をほとんど見かけることが無く、大人しくというか楽しくみているのが印象的でした。岡本太郎が時代とともに何と対決してきたかという展示方法も非常に分かりやすかったですし、個人的には「今夜は最高!」出演時の映像が流れていて、無かったことにされずにきちんと取り上げられていることが何かうれしかったです。欲を言えば、鶴太郎との共演映像もあればなぁと思いましたけど。

会場を出て、図録を買ったあとに外に出てみると入場のための行列は更に伸びていまして、入場券購入に40分・入場に20分となってました。午後とかにはもっと並ぶことになっていたんでしょうねぇ。というわけでこれを投稿してから、まだ数日開催されているわけですが、なるべく開館に近い早い時間に行ったほうが吉かと思われます。
帰る前に海洋堂制作の展覧会グッズ(限定?)であるミニチュアモデルのガチャガチャをして帰りましたが、「太陽の顔のマケット」と「手-青」でした。顔が欲しかったのでとりあえず満足。

帰って図録をなんとなしに読みながら思うのは、岡本太郎は時代時代で変質したとかあるいは対極主義だとかいろいろといわれますが、そういう芸術論的な瑣末なことはどうでもよくて、大衆の前にシャーマンとしての芸術家というものを分かりやすい形で体現したことに尽きるんじゃないかと思います。
「降ろす」力の提示というか。西欧においては芸術は神に捧げるものであるが、日本のそれは自らに神を降ろしてといった辺り。岡本太郎はそこへ立ち返ることを推し進めようとしたわけですが、日本における想像の現場って意識しないまでも「降ろす」力ってのは重要なファクトであり続けていると思うんです。なにかこの辺の発信者・受信者問わず共有している潜在意識を具現化したのが岡本太郎の芸術であるような。

こんな感じで岡本太郎を考えてはっきりと理解したのは村上隆のことなんですよね。彼がなんで真正面から漫画・アニメの作り手・受け手に受け入れられないのかっていうとはっきりいって村上隆はこのシャーマンとしての「降ろす」力が全く無いということがバレているからっていうことなんでしょう。「お前降ろせないじゃん」と。漫画・アニメは日本における想像の前線ということでは「降ろす」力を強く求められる場なんだろうと思いますが、そこに彼は必要無いっていうか、まぁ邪魔なんだろうね。

いや~なんとなく分別できないゴミを捨てることが出来たような気分でスッキリ。何だこれは!

 

 

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