有楽町 東京交通会館「民芸喫茶 甘味おかめ」 カフェブックマーク

交通会館のカフェと言えば、以前ローヤルを紹介したのですが、今回紹介する「民芸喫茶・甘味おかめ」も同じ建物内、しかも同じ地下一階だったりします。
甘味処は果たしてカフェなのかって疑問は当然の事としてあるんじゃないかと思いますが、新しいシリーズを始めるのも面倒ですし、「喫茶」と付いて茶も出てくるから良いんじゃないかと、このサイトらしくイイカゲンに含めてしまうことにします。まぁ、今後機会があれば甘味処もどしどしと。

ということで、今回のマクラは前回とこれまた同じく、交通会館がある土地の沿革といった辺りを、今度はやや違った角度から眺めていくことにしましょう。

ローヤルの時は終戦直後の闇市の頃から、この土地を眺めてみたわけですが、果たして戦前はどのような場所だったのかというと、下の写真が分かりやすいかと思います。
戦前の有楽町空撮
赤で薄く色を付けた所がそうなんですが、手前の日劇、そして朝日新聞を中心に新聞社の社屋が集まっていた“新聞街(インク街とも呼ばれた)”のブロックと比べると、小さな建物が寄せ集まっているような場所だったというのが分かるかと思います。
そして、パッと見て違いが分かるってのは、現在は首都高になっている外濠川がしっかりと残っていることですかね。
劇場、そして当時最先端の情報を扱っていた新聞社(今は見る影もないですが)と共に、他と隔てられたカタチ(もう片方は鉄道高架)で同じエリアにあるというのに大きな意味がありまして、彼らが食事をしたり、時間を潰したり、あるいは仕事にという場所として大変便利な場所だったんですね。ということもあり、彼らを相手にするような店が集まっていたと。
数寄屋橋から見た朝日新聞社
雰囲気としては、ちょっと70年代の新宿ゴールデン街に近いと言っても良いかもしれません。もちろん酒方面オンリーではないんですが、やや胡散臭い面も含めて。
当時は“情報屋”という裏情報を新聞社、あるいは財閥や企業なんかに売って金をもらっている人が結構居まして(“革命家”の北一輝も生活費はそれで稼いでいた)、そういう人間と合う場所としても活用されていたために、ここにはそういうやや暗い雰囲気を持ったカフェ(当時のカフェはスナック的要素もアリ)が幾つかあったりもしたようです。
無政府主義者で、後に在日本大韓民国民団(いわゆる民団)の初代団長となった朴烈~の愛人だった金子文子も、ここにあったカフェで働いていたことがあったようで、まぁこういった人達が出入りしていたんですね。
そして、国鉄有楽町駅のガード下辺りにはおでん屋等の値段の安い赤ちょうちんが並んでいて、そこで飲み食いも出来るってことで、新聞街に勤める人間は他に行かずにこの界隈で完結出来るっていう、そういった閉じた文化圏を形成していたと。
有楽町・カストリ横丁
敗戦で有楽町が闇市・パンパン地帯(上の写真は昭和22年当時のもの)になっちゃったというのは前回ふれた通りなのですが、ではそういった部分が全部無くなったのか、というとそうでもなく、文芸評論家の巌谷大四は『非常時日本文壇史』に、こう書いています。

終戦後まもなく、有楽町駅の東側に、バラックの呑み屋がごちゃごちゃと出来て、その辺りをカストリ横丁と呼ばれた。屋台に毛が生えたようなバラックの、縁台のような椅子に五、六人掛ければ一杯になるような店ばかりで、一杯になると、みんなまわりをかこんで、立ったまま、コップになみなみとつがれたカストリ焼酎を呑むわけである。
そんな立ちならんだ中に「おきよ」というのがあった。誰がみつけたのか知らないが、自然に作家連中があつまった。
常連は寺崎浩、丸岡明、立野信之、青野季吉、中島健蔵、横山隆一、那須良輔、高見順、田村泰次郎、武田泰淳、梅崎春生、吉田健一、河上徹太郎といった諸氏等に
豊島(与志雄)さん、久米(正雄)さん等のも顔を見せた。
当時は、カストリがもっとも珍重された時代で、これを三杯飲むと、けっこう酔いがまわった。トンカツをかじりながら呑むのが、この店のしきたりだった。カツの油とカストリとが、よく合うのだと言われていた。

錚々たるメンツですが、注目すべきは田村泰次郎が居ること。
有楽町には当時、「夜桜あけみ」を姉御(リーダー)、後にNHKラジオに登場したりした「ラク町のお時」をNO.2とした150名ほどのパンパン(白人相手のため洋パンと呼ばれた)グループがあったんですが、田村泰次郎は彼女らをモデルに『肉体の門』を書いたんです。まぁ、そのまんまのルポでもあったんですね。
恐らく、おきよではカストリだけじゃなくメチル(アルコール)の酒も出ていたんでしょうけど、小栗虫太郎のように死なないまでも、結構寿命を縮めてしまった人も居るような。
前回はここを、スシヤ横丁(すしや横丁)と紹介しましたが、始めはカストリ横丁とも呼ばれていたってのが分かります。そして、上の写真、よく見るとマリオンに向かう道路に並んだ今も残っている中華屋(中華料理・中園亭)が当時からあったのも分かりますね。
国電有楽町東口
こうした作家達だけではなく、当然のように新聞社の連中も、戦前と変わらず通っていたようで、漫画家の麻生豊(代表作は『ノンキナトウサン』)は『東京味覚地図』にこういった文章を寄せています。

中でも優勢だったのがアルコールやカストリ焼酎。よそのヤミ市になかった酒まであった。
大きな声では言えないがお得意は新聞社の連中だった。

なんてことを書いています。
唯一、高いながらも本物の酒を出す(広島の「賀茂鶴」)店として広島屋(この店はカタチを変えて交通会館に現存する)というの銘酒屋があり、そこにツケをして飲むって記者が多かったんだそうです。
交通会館横のすしや横丁
さて、その後の“健全化”と共に新聞社は徐々に有楽町から去っていくのですが、最近の新聞社の体たらくを見るに、こういった暗い胡散臭い部分と縁が切れてしまったのが、陳腐な“正義”一本調子という粗末な辺りに落ち着いてしまった遠因になったような気がないでもありません。
そういった意味でも、こういった有楽町の過去を見ていくってのは、それなりに意義があるような気があるような、ないような。
交通会館
といったところで、お店の紹介に入りましょう。
中華料理・中園亭
と、その前にさっきの写真で見た中華屋をチェック。場所全く同じですね。
民芸喫茶 おかめ 外観
今回のお店は始めにふれたように交通会館の地下、それもやや奥まった所にあります。
エレベータホール、もしくは階段から地下へ降りたら左へ、梅干し専門店「うめ八」の先を曲がって進むと、そのものズバリのおかめのお面が掲げられたお店が「民芸喫茶 甘味おかめ」です。
お面を除いての店構えは至ってオーソドックス。というか、銀座のトナリらしからぬ、と言いますか、地方の駅前通りにありそうなっていう素朴感がこの店の特徴なんです。
民芸喫茶 おかめ ショーウィンドウ
商品サンプルが並んだショーウィンドウもそれらしく。
民芸喫茶 おかめ お面
この甘味おかめは昭和22年(1947年)創業なんだそうですが、本店があるのは麹町。
本店が“甘味喫茶”で、こちらが“民芸喫茶”。さらにメニューに“蔵王”あんみつなんてのがあるのは、この辺りに東北からの集団就職組や出稼ぎ労働者が多かった頃と関係があるとかいう話。
ということになると、交通会館が開業した昭和40年(1965年)くらいからあったんですかね。いずれにせよ、こちらも40年程度の歴史はあるお店ってことでしょう。
自分はこの店で満足しちゃってるので、本店は行ったことはナシ。
民芸喫茶 おかめ 店内
お店の中はそれほど広くはありません。故にショーウィンドウに書かれていたようなベビーカー等の制限があります。6組も入れば一杯という。
椅子も“民芸”と名乗るにふさわしく、座面が縄で組まれたもの。民芸居酒屋によくあるタイプのものです。長居するとややお尻が痛いという。
と、注文となるわけですが、この甘味処の特徴その二ってのがありまして、ここ甘味とともに、他で見たことが無い謎弁当ってのがあるんです。とりあえず、説明するより見てもらった方が早いので、甘味とともに謎弁当を注文。甘味は弁当の後に持ってきてもらいます。
民芸喫茶 おかめ お茶
で、お茶を飲んで待つと。これで“カフェ”の義務は果たしました。
おかめ弁当
こうして謎弁当がやって来たのですが~どうですこのブチこみっぷり。赤飯、茶飯、やきそば、おでんと、確かに単品では甘味処や地方の和菓子屋でみるような品なんですが、ここまで強引に一つにまとめたのも珍しいと思います。赤飯とおかず、みたいなのはよくあるんですがね(栗おこわ弁当のような普通のもある)。
おかめ弁当
この辺のごった煮っぷりも地方出身者の集まった東京らしいと言えば、らしい。というのもこの店、何故か“きしめん”もあるんですよね。
おかめ弁当
お店の人に聞いた所「別に名古屋とは関係無いんですよ」とか言われちゃったので、そっち出身の店員が勝手に創作していっちゃったのかもしれません。きしめんにおでんを入れたのもあったりしますし。
この適当感も個人的には気安くて、また足を向けようと思ったりするトコロだったりします。正直、店員のオバちゃん方も結構接客が適当です。こっちも気合を入れないで適当でイイので気が楽。味も素朴で気取る必要なし。
なお、この弁当、甘味と一緒に食べるには結構な量があります。炭水化物たっぷりですし、挑戦してみたいって人は、甘味は別の機会にした方が吉。
民芸喫茶 おかめ 白玉あんみつ
一緒にたのんだ甘味は白玉あんみつ。小島政二郎が「震災以前はあんみつのような甘いが上に甘い餡をかけるような不合理な菓子はなかった」みたいなことを書いていますが、大きなお世話で、人は痺れるように甘いものを食いたい時もあるんです。
味はこちらも素朴で大変結構。なんでもこのお店、基本手作りなんだそうです。最近はこういったお店でも機械が入っていたりするんですがね。
民芸喫茶 おかめ おはぎ
やや腹が苦しくなりながらも完食。で、ココでオワリってわけではなく、実はおみやげを注文してあったんです。実はここ、普通のよりも大きいおはぎも名物だったりするんです。通常の1.5倍くらいですかね。
民芸喫茶 おかめ みやげ
通常のケースに4つしか入らないんです。店内でも単品で注文できるんですが、二つ食えば昼飯代わりになるというものなので、みやげにするのが無難。作りおきではないので、始めの注文時に忘れずにたのんでおきましょう。
家に持ち帰るまでに、きな粉がしっとりとして、とてもいい感じになります。
民芸喫茶 おかめ 看板
というわけで、今回の「民芸喫茶 おかめ」。やはり他の交通会館のお店と同様に、場所らしからぬ気安さが最もオススメしたい辺りでしょうか。
そして、恐らく地方出身者の方が、というか自分なんかもそうですが、よく食べていたような味だったりするので、有楽町だというのに、妙な郷愁のようなものも感じられるという不思議なお店です。それで、イトシアの方にキレイな有楽町店が出来ても、コッチへ来てしまう、と。
みやげにおはぎだけでも買える(少し待つ必要あり)ので、ちょっとこの辺りで時間が出来た方は寄ってみるのが良いかと思います。
麺屋 ひょっとこ
同じ交通会館地下にある「麺屋 ひょっとこ」という、そこそこ人気のラーメン店は経営が同じなんだそうで、こちらにラーメンを食べに来た方なんかも是非。

民芸喫茶 甘味おかめ
住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館 B1F
電話:03-3216-6008
定休日:日曜日、祝日
営業時間:[月~金]11:00~20:00、[土]11:00~19:00
最寄り駅:JR有楽町駅

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