笠原和夫から見える股間な人々、そして朝鮮半島

2月 14, 2012 2 Comments by

※今回あえて下品な言い回しを使用しておりますのでご注意を。

さて、いつもと同じようにヨタ話を一席。正月、ちょっと時間が空いたんで何故か知らねど石原慎太郎を読み返してみようかという気分になったと。で、本棚にあった『太陽の季節』をなんとなしに読み始めたんですが、途中以下の様な箇所にオッと引っかかったわけです。

この年頃の彼らにあっては、人間の持つ総ての感情は物質化してしまうのだ。<中略>父と子の情愛にしろ、友情にしろ皆同じではなかろうか。が唯(ただ)、彼等はみな母親には甘えっ子であった。彼等は自分一人の母だけではなく、親しい友人の母にも甘えることが多かった。嘗て母親を離れた彼等の視線が、外側の世界でとらえた女達は知らぬ間に彼等をいたく失望させ、再び彼等はおふくろの所へ逃げ帰った。がその途中大抵の者が所詮落しものとして女を知って来るのだ。こうしたことが彼等の奇態な母親への甘ったれ振りを育てたのだろう。だから彼らの内にあって、他に女をつくって家を空けた父への面当てに、若い愛人をつくった母親の顔を足で蹴とばしたと言われる友人は、驚愕と羨望をもってむかえられ、何とはなしに一番の大人扱いを受けていた。がこうした感情の中に、少しも非難の影が見られぬと言うことは奇妙なほどである。
石原慎太郎
以前読んだのは高校生の頃で、その時は初期石原作品でよく言われるアプレゲール的“無軌道”な暴力性といった表面の辺りを撫でただけだったのか、そういうものがこうやってエディプス・コンプレックスからの甘えっ子みたいなもので裏打ちの説明がされているとは全く気づかなかったというか、なんというか。石原慎太郎の評価もし直さないとイカンなぁと思ったりしたんですが、それはともかく、この発見に何か強いデジャブを感じたんです。が、その時はそれが何かなのは分からず、しばらくして食い物関連のニュースを見ていたときにハッと思い出したわけですよ。雁屋哲がネットで書いてたのにエラク似たのがあったなと。で、調べてみたらありました。

どうも、私は甘えっぱなしの人生を過ごしてきたようだ。
母に甘え、姉に甘え、その母が亡くなったあと来てくれた今の母に甘え、結婚すれば連れ合いに甘え、今は娘二人にも甘えている。
それも、どうも図々しい甘え方のようで、時には反省しているのだ。
80過ぎの母に対して60を遙かに越えた男が「おれは、長男なんだからうんと甘やかしてくれよ」という。
すると、母は心得ていて「はい、はい、甘やかしてあげますよ」と言う。
うーむ、何かにつけて私にとっては女性の方がいいな。
私はこれからも、絶対反省せずに、甘えて生きて行くのだ。
(「雁屋哲の今日もまた・2010-10-25 ご無沙汰しました」より引用)

全共闘男子の女性の扱い方のどうしようもなさはオカッパジェンダー方面からも散々指摘されていますし、連合赤軍事件もイデオロギー的なもんがどうでもよくなった今から見てみるとそういう側面ばかりが目立つわけですが、こういう文章みるとなるほどと思いますね。で、父親への言及もあるんかなと思って探したら、こっちも分かりやすくありました。

子供の頃だけでなく、大人になっても、私に取って一番怖かったのは父だった。
—中略—
他の誰に讃められるより、父に讃められるのが一番嬉しかった。
この歳になってこんなことを言うのは滑稽だが、父が亡くなってしまうと、何か自分で頑張っても父に讃めて貰えないのが淋しく悲しい。
(「雁屋哲の今日もまた・2009-10-03 楽しい日だった」より引用)

雁屋哲
元々自分は政治的スタンスなんてものは全然信じてなかったりするんですが、こうやってのアラレな部分が似たり寄ったりだとニヤニヤしたくなりますね。しかし、石原慎太郎なんかは公人であるという辺りでマッチョな文脈で語られることはよくあるんですけど、この雁屋哲のこういう部分で触れられることってほとんどないですよね。まぁ、よく考えなくても『美味しんぼ』なんてそのまんまな話なわけですけど。最近じゃ分かりやすい形で海原雄山と山岡士郎の同一化が進んでますし、栗田ゆう子は初期の女性らしさはほとんど無くなり母親どころか“菩薩化”してもう人間っぽくないです。『男組』、『野望の王国』なんかの作品に見られる権力へ向かう暴力性、そこから広げての雁屋哲自身というかひっくるめての団塊の世代全体の“反権力”気質ってのも、そういう視点から見るとパンツにサンリオ・キャラクターみたいな情けない裏側が見えてくるわけで、この辺から雁屋哲作品は評論し直されるべきなんじゃないかと思ったりします。
栗田ゆう子の変化
という感じに、世間的にはウヨクなマッチョ老人の典型として見られている石原慎太郎とサヨクなバブル団塊の典型として見られている雁屋哲は、『太陽の季節』の主人公よろしくエディプス・コンプレックスからの甘えっ子いう共通の根っこがあり、それを原動力として創作や政治的行動といった陰茎障子破り(以下、障子チ○ポ)を行なって来たんじゃないのっていうことなんですが、これを更に分かりやすく固めて行きたいってことで持ちだしてみるのが映画脚本家・笠原和夫の対談形式本『昭和の劇』の「やくざ映画はインポテンツ映画である」での以下のくだりです(「荒井」は脚本家の荒井晴彦、「すが」は文芸評論家のすが秀実)。なお、長いので間をちょこちょこ抜いています。

荒井:刑務所に入ると、おかまを掘られるわけですね。掘るのが<カッパ>で掘られるのが<アンコ>。~それでアンコというのは、結局、カッパの鉄砲玉になって人を殺しに行くようになるということですけど。
笠原:そうなんですよ。殺人という異常行動は、やっぱり自分が一度、本当の被虐者になったことがないとできないんですよ。要するに、自分が受けた屈辱というものを跳ね返したい―つまり男になりたいと。それで相手を殺しに行くんだけれども、もし、彼らにそういう道が与えられない場合には、幼児や幼女の強姦に走ったりして、実に残虐な殺し方をするわけです。でも犯ってはいないんです。犯れないんです。勃たないんですね。~できないというコンプレックスを抱えて、結局、男になりたいということで昔の兄貴分に頼みに行く。で、何か事が起きたら、電話一本受けただけで「行きます!」と言って、スーッといってバーンと殺して、あとは一切しゃべらない。そうすると刑務所の中でも、「あいつは男だ」となるでしょ。だから、もう掘られるとこはないですね。もう二度と、彼はアンコになる必要はない。かといって、カッパになれるわけでもないんだけど、一応、男として頑張ってられるんです。
すが:よくわかります。ある種のインポテンツの凄惨さみたいなものですよね。
笠原:要するに勃起力不足という…。やっぱり暴力というのは、男が自分の勃起力を自覚した時、始めて生まれるものでね。本当に女を征服できる男は、女に暴力は振りいませんよ。
すが:トルストイがそうだったという話ですよね。実は滅茶苦茶な暴力亭主だったんでしょ(笑)。でも、書いているものは人道主義という。
笠原:勃起力が不足していたんでしょうね。~だから、暴力というのはインポテンツと関係があるんじゃないですかね。
荒井:ある種の代償行為があるんですかね。
笠原:そうでしょうね。それはやくざも同じですよね。大体、博奕そのものがセックスの代償行為でしょ?

実は男性性の回復(獲得)とその代償行為なんだってことですな。暴力っていう極端な辺りのことなんで分かりやすいですよね。石原慎太郎、雁屋哲が“反米”ってことで同舟なのも敗戦っていう<アンコ>体験があるからなんでしょう。ただ、笠原和夫自身も戦中派として抱え込んでいると語られるこの情念ですが、世代によっての差異があるとようだととも語られちゃったりします。『大日本帝国』の脚本執筆時、プロデューサーとぶつかったという以下のくだり。

笠原:これをやってる時、天尾プロデューサーは非常に不満だったんですね。それで、飲み屋で大喧嘩になったことがあるわけですけど、天尾としては、天皇陛下のために戦って死んでいく純粋さというものをもっと書きこんでもらわないと、こういう映画はヒットしないということを言うんだね。でも、それはお前は戦争に行っていないから言えるんであって、俺は実際、戦争へ行ってね、二言目には「天皇陛下のために」とぶん殴られたんだから、「天皇陛下のために」なんて簡単に言えないって言ったんだよ。彼は生まれは戦前だけど、戦後っ子だから軍隊の経験もないしね。考えてみると、あの世代というのは非常に右翼的なんですよね。
荒井:天尾さんはいくつですか?
笠原:昭和八年か、そこらへんの生まれですね。確か中学一年生頃に終戦になっているんじゃないかな。だから、戦争が盛りあがってるところでプツッと切られちゃってるから、その思いが残ってて、それで戦後になっていますからね。中島貞夫もそうなんだよ、割りかし右翼的でね。
すが:世代的にいうと、石原慎太郎、江藤淳は昭和一ケタ生まれですが。
笠原:そう、あの世代なんです。

江藤淳
石原慎太郎はすでに登場済み、江藤淳は言論もそうですが菩薩化させた妻に殉じていったのはご存知のところかと思います。リアルな<アンコ>体験が薄まり「殺る」衝動のボルテージが落ちていくと、バーチャルな障子チ○ポ的代償行為世界で満足してしまう傾向があるというわけです。右翼的っていうけど、この世代には井上ひさしのような平和九条信者居るじゃないかとお思いのあなた、井上ひさしは家庭じゃ嫁さんボコボコにしてましたからトルストイ系ってことで同じ。更に世代が下がっての雁屋哲が「私はこれからも、絶対反省せずに、甘えて生きて行くのだ。」ってのは障子チ○ポ派宣言といって良いでしょう。ルーピー鳩山氏なんか障子チ○ポをパーフェクトに体現してますよね。少なくとも石原慎太郎には自分達のそれを客観視して作品とした<アンコ>力はあったんですがね。団塊の世代はこれに戦後を復興させた父親達(本田宗一郎なんかの世代)へのエディプス・コンプレックスも添加して障子チ○ポ濃度が更にややこしくなってるのも原因かもしれません。
てな感じに障子チ○ポは戦後思想?そのものなんじゃねということですが、現状を見渡していくと、民主党は障子チ○ポ党ということでお粗末なのが説明できますし、石原と反石原、橋本と反橋本が障子チ○ポ合戦になって不毛なのもよく理解できます。そして、今年大赤字を出してる企業群トップなんかも。加えて最近の熱いところじゃ山本太郎氏なんかも立派な障子チ○ポ人と言って良いでしょう。元々の家庭事情やらで抱えたものが、ああいう形で吹き出したんじゃなかと。彼、昔は藤原達也と何人やったみたいな対談してましたし、そういう衝動が肉体の衰えと共にそういう方向へ、そしてああいうキッカケがあって、なんでしょう。恐らく、こういう流れの極北には三島由紀夫がいると思われますが、「俺はパンク」「感覚的に生きてる」なんて人に実際会ったらおもいっきし障子チ○ポ系ってのはよくあるんだ、これが。ブギーナイツかよ。
山本太郎
さらに広げて、この<カッパ>と<アンコ>構造にもっとピタっとくるのは日本と朝鮮半島の関係なんです。まだ「嫌韓」なんて言葉が生まれる前、ネットで韓国と交流がとれるようになった最初期だったと思いますが、いわゆる反日感情に触れて、怒りや反省なんかはどうでもよく、こいつら面白いけどなんでこんななんだってところで、その類の本をまとめて読み始めたものの、しっくりするものがなく、ヨーロッパの植民地関連本まで手を広げてこれだ!ってのがあったんですよ。(一部の)イスラム社会やアフリカ部族社会が何故女性を粗末に扱うマッチョな社会なってしまったのかという議論で、西洋文明からの圧迫を受けたことからの男性性の回復という側面があるんじゃないかっていう説明があったんですな。さらに、旧宗主国にはエディプス・コンプレックス的感情を抱くようになるんじゃないかとも。今回の話そのまんまですよね。
ということでそれに当てはめていくと、すべてのことが腑に落ちるわけです。単純に反日とは言えないややこしいもんがね。韓国に性犯罪が妙に多いなんて辺りも含めて。なんで、ヨーロッパでは普通に語られているこんな分かりやすい捉え方がこっちじゃ大っぴらにならないのかってのは恐らく朝鮮半島に関わってきた(語ってきた)人達がイデオロギーに関係なく、障子チ○ポ人ばかりだったっていうことなんでしょう。自分の股間は探られたくないと。半島サイドが被害者であることを強調し続け、濃度が増していく韓流障子チ○ポとの共依存というか。そう考えると日本のメディアにコンプレックスが強い人間が多いことと、いわゆる「韓流」の関係ってのは突っ込んでいくと面白なと思うんですが、この辺は長くなりますんでまた機会がありましたら。

というわけで触れてきました(触れたくないんだけど)障子チ○ポアングル。在日、沖縄、フェミニズム、なんてのにも当てはめることもできるかと思いますが、何れにせよ個人的な何事かを満たすことはあっても、状況をハッピーにできるようなもんではないのは間違いない、というか御歴々を見ていくと明白ですね。個人の股間で抱えているものを外に押し出すのはまだしも、共有化を強要したりするのは立派な変態様でいらっしゃいます。過去の笠原和夫や梶原一騎が紡いだ物語、あるいは現在の韓国映画のような濃いドラマといったような虚構の構築に用いられるのはまぁいいとして、現実に於いてこれを如何に引き継がないようにするか、如何に関わらないようにするかをそろそろ本気で考えんといかん辺りなんじゃないかと思います。
それには、上で述べた障子チ○ポの究極である三島由紀夫の玉砕のような美名と絢爛さに惑わされず、個人個人がバンコクのホテルで自らのインナースペースに殉じたデビット・キャラダインのごとく一人みっともなく自爆する覚悟を胸に生きていくしかないような気がするんですが、どんなもんでしょね。その方がより深い業の肯定って感じでステキやん。
デビッド・キャラダイン
今日はこんなところですかね。んじゃエロ動画の無料サンプルでも見て寝るかな。

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正規軍に偽装したWEBゲリラ屋。ゲバラよりはカミロ・シエンフェゴスって思うけどヨタヨタのカストロに一番感情移入してしまったり。

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2件のコメント to “笠原和夫から見える股間な人々、そして朝鮮半島”

  1. 切腹五郎 says:

    チ〇ポ障子といやあ、かの武田泰淳センセーもどっかで書いていたような記憶がございますが、沖縄の差別対象が奄美で、その奄美のヤクザってのがものすごい武闘派ぞろいだった(佐野眞一)って事実を踏まえますと、ぞっとするセオリーでございますな。

    • 白玉 says:

      泰淳先生も中国で人ぶっ殺してるからなぁ。佐野眞一の本といえば、奄美は創○学会が強いみたいなことが書いてあったけど、ああいうもんも同じジクジクから来ているんだろうと思う。

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