『鬼龍院花子の生涯』といえば、仲代達矢の「鬼政」である。
はっきり言ってこの映画の仲代は変だ。ただでさえ大仰しいと嫌う人も多い演技に磨きを掛け、キメてんのかと言うくらいにグングンとよく分からない高みへと上って行く。そこには大島渚に「無表情」を絶賛された仲代はもう居ない。
それでいて、ほとんどマンガ的とも言うべき鬼政をスルスルと自らに引き寄せ、ある種の説得力があるカタチで客の前に提示することに成功しているのはどういうことなのか。
『鬼龍院花子の生涯』はケレンを「味」ではなく、そのままメインディッシュの料理にドーンと出しながらも大きな破綻を見せない仲代達矢の演技者としての豪腕を見ることができる映画なのだ。
日本ではその後の悲劇とCMでさんざん流れた「なめたらいかんぜよ!」という台詞のインパクトもあって、鬼政の娘・松恵を演じた“夏目雅子”の映画として語られることが多いが、海外では当然というべきか『ONIMASA』のタイトルで売られているそうである。何も付加情報無く見たらあたりまえだ。
この強烈な「鬼政」はどのようして生まれることになったのか。それを知るには『鬼龍院花子の生涯』がどのようにして製作されるに至ったかを知る必要がある。
残念ながら、この映画(というか五社英雄作品)は芸術作品でもなければカルト映画でもないため、あまり語られることがないが故に資料的なものが少ない。唯一、当時の状況を知ることができるものとして、この映画の監督である五社英雄の娘・五社巴が書いた『さよならだけが人生さ 五社英雄という生き方』という本がある。
この本によると、五社英雄は『鬼龍院花子の生涯』の製作に入る前の数年間、ほとんど人生破滅寸前といったような状況だったようである。
『三匹の侍』のヒットから、テレビ界出身の映画監督第一号として数本の作品を発表し、順風満帆な人生を送っていた五社英雄だったが、ある日甲斐甲斐しく尽くしていたはずの妻が連日ホスト遊びをしていることが発覚。そして、次の日妻は失踪。後には二億円という莫大な借金が残されていた。
さらに、住み慣れた家を手放して借金返済に奔走しているときに、娘(五社巴)が都営バスと接触し頭蓋骨陥没骨折で昏睡状態に。十二時間に及ぶ成功の確立20%という手術は上手くいったものの、言語中枢に障害が残ることに(数年間のリハビリで完治)。
その娘が退院するのを見計らっていたかのように、警察に短銃不法所持の疑いで逮捕される。実刑は免れたものの、借金返済の目処が立たぬままに長年勤めたフジテレビを無念の依願退職。
というハードモード過ぎる不幸のジェットストリームアタックを喰らい、自分の名を刻んだ墓の前で死ぬことも考えていたそうだ。
が、捨てる神もあればなんとやらで、今年の5月に死んだ東映の岡田茂に
「お前いろいろあったみたいだけど、死ぬ気になってもう一度映画を撮ってみないか」
と声を掛けられ、再起をかけて宮尾登美子作品の映画企画を持ち込み、見事実ったのが『鬼龍院花子の生涯』だったという。
鬼政は自らの侠気と力を信じ奔放そのものといっていい生活を送るが、その下で翻弄される女性達の愛憎に復讐される。
なんのことはない、鬼政は五社英雄だったのだ。人物造形に気合が入り過ぎるのもあたりまえだ。
パンフレットの中で五社英雄はこう語っている。
「人並み以上に屈折した生きざまをさらしてしまいました私ですが、それだけに、ここで情念とか、業とか、サガとか、おこがましい詩を、うたえる度胸もついたと自負しております。
『鬼龍院花子の生涯』は、映画ならではの、手作りの、厚い、熱い、ドラマの掛け合いとアクションで見せ切りたいと希っております。
私の正念場が来たようで、身も心もふるえております。」
この映画は鬼政最後の殴り込みのような気分で作られたのだ。
五社英雄の映画は語られることが少ないと書いたが、上記のような内部熱を無視するように映画評論家の評価もはっきり言って悪い。実際、テレビで双子の映画評論家がほとんど罵っていたのをよく覚えている。
五社英雄もその辺は自覚していたようで
「批評家連中に俺の作品を理解してもらおうなんて、少しも思ったことはない。俺は、観客に向かって映画をつくる。」
実際、客を強く意識した彼の映画のほとんどは黒字である。またこうも言っている。
「俺が監督として年に一本のペースで映画が撮れるのは、何があっても決められた日数で予算内に商品を完成し、納入することができるからだと思う。」
映画はリュミエール兄弟の頃から「芸術」と「見世物」を両輪に走る機関車のようなものだと言われたりすることがあるが、五社英雄は「見世物」の方を強く意識した映画監督だったと言える。
そこには面倒な主義や主張を下げ渡されることも無く、ただ見ることの快楽が優先される世界がある。
そこへ向けて突っ走って再起に掛ける五社英雄と、当時黒澤明のメンドクサイ作家主義につき合わされ、自らを解放する演技ができなかったであろう仲代達矢と抱き合うカタチとなって、この映画を貫く妙なテンションが生まれたんだろうと思う。
しかし困ったことに、こういう大衆演劇の継承者とも言える「語れない」映画は差別されるんだよなぁ。
以上、この作品を背骨を探ってみたわけだけど、他個人的な見所を上げると、タイトルにもなってる“鬼龍院花子”を演ずる高杉かおりのオーラゼロの謎役者っぷり(他の映画で見たことが無い)や、「主義者」を演じたら左に出るもののいない山本圭の安定感と老けっぷりなど、押さえドコロは多いです(褒めてんだよ)。
こういう細かい部分も含め、今じゃもう見られない破綻を物ともしない熱を是非感じて頂きたい。
というかフジテレビは昔みたいにしょっちゅう流せよ!って辺りでシメ。
えー勢いでシリーズって書いちゃったので、忘れない内にまたやります。
夏目雅子にほとんど触れないでスイマセン。
・いまさら五社英雄シリーズ
『吉原炎上』
『肉体の門』
『陽暉楼』
『人斬り』
『極道の妻たち』
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