『へんげ』:或る彼岸に佇む夫婦の黄昏

9月中旬に開催されたカナザワ映画祭で、『先生を流産させる会』と同時上映された自主製作映画『へんげ』について、いくつか記すこととする。

ある夫婦の物語である。夫が原因不明の発作に苦しめられ、それを献身的に介護する妻がいる。どうやら夫の発作は現代医学では解析できない病気であるらしい。ある夜、発作に見舞われた夫が狂った野獣の如く暴れ回り、それを目の当たりにした妻は、夫の体の一部がこの世のものでない『何か』に変化しているのを目撃する…

いきなり感想を述べるとすれば、同作品の結末での恐るべき驚愕と喝采はかつてない興奮を覚えさせるものだった。冒頭の得体の知れないサスペンスから推し量ることが不可能な展開は、観客を確実に虜にすることは間違いない。これは自主製作云々を抜きにして、広く海外でも上映されてしかるべき骨太なエンターティメントだと思うところである。

閉鎖された『家庭』という空間の中で常軌を逸した『狂気』が熟成されていくサスペンスには、数多いテクストが存在する。中でも同作品に昨今の小説界において近似したテーマを扱っているのが、平山夢明氏の著作短編集『ミサイルマン』の一編、『或る彼岸の接近』である。実録怪談を数多く発表してきた氏のスタイルを踏襲した、体験談風の語り口から始まるこの掌編は、あるリストラ一家が引越しした一軒家で起きる怪事件の顛末を描いた内容だ。

企業の中級管理職をリストラされた老いた主人公が、家族と共に越した激安の賃貸の一軒家の庭に、奇妙な祠があった。そしてその引越を境に妻の様子がおかしくなっていき、その周辺で奇怪な事件が多発する。家庭そのものが未知の暴力によって崩壊していく過程を描いた物語である。ラスト、主人公が人智を超えた異形のものと対峙する結末には戦慄する他ない。

『へんげ』と『或る彼岸の接近』の暗い根底にあるのは、我々が生きる次元との異なった空間から召喚される『何か』に対する根源的な恐怖である。ぜひ『へんげ』を劇場で観る機会があれば、その恐怖の展開を体感していただきたい。そして、あくまで(念を押すようだが)これは自主製作映画であり、さらに言えば大資本映画の常識を覆す“テロリズム”映画でもある。

見よ、冒頭のヒロインの絶叫する表情を。この女優の顔面爆発が物語の驚愕を大いに表現している。もしこの映画そのものに失望したひとがいたとしても、ヒロインである妻のラストの落涙の表情は決して忘れられるものではない。

(ここで奇妙な符号がある。同映画そのものとは関係あるのかないのか主催者の胸先三寸なのだが、翌日に同会場において開催された『ジャパニーズ・バイオレンス』のトークショーに、作家・平山夢明氏が参加していたのは何かの
偶然なのか、演出なのだろうか?少なくとも氏は同作品について何も言及されていないので、単なる偶然だと思うのだが。一観客としてはこのあたりの一言が正直欲しかった)

『へんげ』:或る彼岸に佇む夫婦の黄昏」への2件のフィードバック

  1. 大畑創 返信

    はじめまして。拙作へのご丁寧な感想をありがとうございます!
    平山夢明さんの『或る彼岸の接近』は未読だったのですが、先ほど本屋で購入して読んでみました。
    妻が狂ってゆく過程が、夫の冷静な一人称の筆致で描かれていて、とても不気味な短編小説ですね。
    このような小説と比較していただけるとは光栄です。
    さらなるエンターテインメントを目指して、次回作に取り掛かりますので、よかったらまた見てやってくだいませ。
    ありがとうございました。

    あ、ところで、平山夢明さんがトークに参加されていたのと拙作上映とは、関連性はないと思われます(笑)。

    大畑創

  2. 切腹五郎 投稿者返信

    こちらこそ、はじめまして。
    この感想というより、妄想みたいな牽強付会なひとりごとに、まさか監督御本人からコメントを頂くとは、光栄に思うと同時に非常に恐縮でもあります。

    カナザワでの『へんげ』の上映会は、自分にとって非常に貴重な映画体験でした。今思い出しても、興奮の沸点が胸の奥に渦巻き躍る気持ちがします。まったくの無知識で観賞したせいかもしれませんが、ラストの高揚は本当に素晴らしい!あの女優の表情だけでどんぶり三杯は行けます、確実に。

    これからのご活躍を一ファンとして願うところです。遠く石垣島から応援しております。

    切腹 五郎

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