『GONZO~ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて~』 「健常」からの眺め

一応サイト名に「GONZO」と冠している以上、こりゃ見とかんとマズイだろうねってことで公開日の朝一に見に行ったわけだ。
劇場入り口のポスターに書かれた余り「GONZO」とは似つかわしくない方々のコメントに若干面食らいつつ入場。気合入れて来たわりにはなんか空いてんじゃね思いながら席に着き、買ったパンフを開くと劇場内同様の空きっぷりのいい内容で、これで値段相応なのかよと若干憤然としているうちに上映が始まっちゃったんである。

この映画、ハンター・S・トンプソンの人生に迫るっていう内容なわけだけど、ハンター・S・トンプソンっつっても知らん人が多いと思うので簡単にご説明。
ハンター・S・トンプソンはそれまでの中立公平で客観的にっていう取材スタイルからはハズレまくった、取材対象の中に身を投じてドロリとした本質を掴み取る、その為なら嘘も厭わないんだぜっていうゴンゾ(ならず者)・ジャーナリズムの鼻祖とされている人物。ドラッグ、酒、銃(ガン)、モーターサイクルと実生活でもならず者な生活をおくり、カウンターカルチャーのアイコンとして大いに愛され嫌われた。この映画でナレーションを務めているジョニー・ディップも心酔者の一人で、代表作のルポ『ラスベガスをやっつけろ!』映画化の際にはハンターのしぐさや癖を盗むため共同生活までしている。2005年にハンターは自殺するが、この映画内にも出てくるハンターの牧場でのケッタイな「葬儀」の費用も彼が出している。

さて、上映が終わってすぐの感想は視点が「健常」過ぎるんじゃねーのと、批判的な辺りでまとまっちゃってたんだな。
いやちょっと待てと、上映前にパンフのことで腹立て気味だったし冷静にもう一度組み立てなおそうと脳内再構築しつつ劇場を出ようとすると、「すみませ~ん。ぴあなんですけど感想聞かせてくださ~い」とオサレなのが来やがりやがったので、今一生懸命考えてんだよ馬鹿野郎(言ってはないけどね)とヒートアップしてしまい感想やらなにやらがすっかりトロけてしまったので、だめだこりゃといかりや長介的スルーで少し感想を寝かすことにして数日。落ち着いたんでこうして書き始めたわけなんだけど、感想変わったのかっていうと「健常」な視点だなという感想は結局変わらず。なんですが、ご批判モードをからはゆるゆると離脱。

では何故自分がご批判モードだったのかを、パンフがショボかった腹立ち(しつこい)を除き考えると、「健常な」と書いたようにキレイにパッケージングし過ぎだろと、こんなんGONZO(ならず者)じゃねえじゃんといった辺りなんだろうね。しかし、落ち着いて考えるとGONZOでない人間がGONZOでない人間にそれを提示する場合、ある種の「観光」映画にせざるをえないんじゃないかと。しょうがないなあというか、観客である我々はこの映画でジョニー・ディップをガイドに健常なる視点から偶像化されたハンター・S・トンプソンを眺めるわけだけど、それはカリカチュアされた健常なる方々に受け入れられやすい偶像(アイドル)になっていくことで書けなくなっていくハンターの人生とオーバーラップしてくるわけで、皮肉な感じでそれもありかなと。まぁそこまで考えては作ってないだろうけど。

咀嚼した後に飲み込まずにゲロるっていうGONZOなやり方で映画化したら、なんのこっちゃか分からん内容になっちゃったと思うので仕方ないんだろうけど、ハンターの荒魂を鎮魂するには神殿に偶像を安置するよりは、日本の神社よろしくご神体として鏡でもあっさりと置いといたほうが良かったように思うんだけども、どんなもんでしょね。

 

 

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